筆者が小学校を卒業した春休み。父の仕事の都合で、京都から埼玉の浦和に引っ越し、全てテレビ観戦だった。なじみのない地で中学に入学する直前の、少し不安でソワソワする気持ちでテレビを見ていたのが思い出深い。
初日、開幕戦で神戸弘陵がサヨナラ勝ちし、続く第二試合も近畿の高田商が勝利。なぜか筆者はここでテレビ観戦をやめ、当時はまっていたTVゲームをするために近くのSATYのゲーセンに遊びに行ったのだが、その帰り、SATY内のテレビで流れていたニュースで大記録を知る。
第3試合で金沢の中野投手が、大会史上2人目の完全試合達成である。なぜ見ていなかったのか。アホすぎる・・・。江の川相手に、確か三振は3つ程度。スライダーを中心に丁寧にゴロを打たせ続けて達成した偉大な記録である。
その金沢は2回戦で大会の大本命・PL学園と激突。PLは後に近大を経てプロ入りするサブマリン・宇高に、2年生の四番・福留孝介、トップバッターにはサブローこと大村三郎を擁する充実の布陣。2年前はダークホース的な躍進でベスト8進出だったが、今回は堂々の優勝候補だ。
1回戦で初出場の拓大一を10-0と大差で退けると、完全男・中野との激突となった2回戦も、序盤であっさりと攻略し4-0で金沢を下した。
準々決勝でも神戸弘陵を10-1と、圧倒的な強さでベスト4に勝ち上がった。そのまま優勝まで突っ走ると思われたが、そこに立ちはだかったのが、このあと平成の30年間で最も多くの勝ち星を積み重ねることになる、智弁和歌山であった。
準決勝第一試合、PL学園対智弁和歌山。なんて胸躍る響きなのだろう。今ではそういう「格」だが、当時は「智弁和歌山がベスト4て。レベル低・・」くらいの見方だった。それもそのはず、出ては初戦敗退を繰り返し、前年夏の大会で、春夏通じて6回目の挑戦でようやく勝利した、少し前の盛岡大付程度の位置づけの高校であったのだ。
しかし試合はまさかの展開。油断があったわけではないだろうが、序盤から宇高が好調な智弁打線につかまり、4回までに5点のリードを許す苦しい展開。さすがに中盤以降はPLペースになり、徐々に追い上げる。最終回に1点差にまで詰め寄るが、あと1点が届かず智弁和歌山が逃げ切り。まさかまさかの不覚、優勝候補の本命が甲子園を去ることとなった。(ちなみにこの後PLは智弁和歌山および智弁学園に公式戦で(確か)一度も勝てず、智弁アレルギーを発症した試合となった)
智弁和歌山はこの勢いで決勝でも常総学院を7-5で打ち合いを制し、一気に初の頂点まで駆け上がった。(常総も前年夏ベスト4のメンバーがほとんど入れ替わった中での決勝進出。さすがである)
のちに高校野球ファンに強烈なインパクトを与え続ける智弁和歌山の、躍進の始まりと言える大会となった。