筆者が夏の甲子園観戦で好きな時間帯が二つある。一つは第一試合開始前。目当ての席をゲットし、ビールを飲みながら朝食を食べて一息つく。ウトウトしたり大会雑誌で過去の大会のスコアを振り返っていたりしたら、もう第一試合の試合前ノックが始まる頃合いだ。改めて電光掲示板に映る4試合の組み合わせを確認する。「完璧や・・・」思わず顔がほころぶ。まさに至福の一時である。
この朝イチの時間帯と並んで好きなのが、夕景の中行われる第四試合だ。周囲のお客さんと言葉を交わすことはないが、球場内に妙な一体感があるのがこの時間帯だ。通常四試合の中で最も観客数が少ないが、この時間まで残っている観客はみなこの一試合を見るために残っている。見ている観客の熱量が最も多いのも第四試合なのである。
そんな夕景の甲子園で繰り広げられた名勝負・名シーンで印象に残っているものをいくつか挙げたい。
まずは、2015年準々決勝、関東一対興南。大会の主役の一人、関東一・オコエと対するは興南の2年生サウスポー・比屋根。インステップからの独特の軌道で関東一打線を粘り強く抑えていた比屋根だが、同点の9回表、二死二塁のピンチを迎え、対するはこの試合完璧に抑えていたオコエ。
一塁側アルプスから起こる比屋根コールの中、オコエが放った打球は一直線に左翼席へ、ベスト4進出を決定づける決勝ホームラン。まさに千両役者が放ったこの一打は、初めて甲子園で観戦した筆者の友人が甲子園観戦にのめり込む大きなきっかけとなった。
次は、今から26年前。1992年の準々決勝、池田ー拓大紅陵の一戦。
80年代にパワフルな打撃で高校野球界を席巻した池田高校だが、この年のチームは、パワーこそないが単打をつなぎしぶとく守り切るチームカラーで準々決勝まで勝ち上がった。迎えた準々決勝も1-0と拓大紅陵をリードし迎えた最終回。
(2:15頃から)
一塁に走者を背負い、池田のエース・宮崎聡の投じた初球、拓大紅陵の5番立川(元ロッテ)が放った打球は無情にもレフトスタンドへ。前日の3回戦で最終回逆転サヨナラ勝ちでベスト8入りした池田だが、この日は逆に勝利目前にまさかの逆転を許す、非常な幕切れとなった。池田はこの年以来夏の甲子園に出場していない。
次は、1998年、第80回記念大会の2回戦。春夏連覇を狙う横浜・松坂に挑むのは、1回戦でノーヒットノーランを達成した、鹿児島実・杉内。
2回戦で実現した、大会を代表する好投手同士の投げ合い。当然見に行った。
実はこの日は3試合日だったため、第3試合のこのカードは14時半試合開始予定だったのだが、直前の豊田大谷対宇部商が延長15回までもつれ込んだ(結末は有名な宇部商・藤田投手のサヨナラボーク)ため、試合開始が大幅に遅れ、夕方の試合開始となった。
甲子園は夕方、マウンドが日なたで、バッターボックスが日陰となる時間帯がある。ネット裏から見ていると松坂が投げたボールが途中で日陰に入るので、感覚的には、消える。バッターもさぞ見にくいだろうが、そんなことは関係なくこの日の松坂の投球はキレキレで、鹿実打線に攻略の糸口すら掴ませなかった。
杉内も大きなカーブ(高校時代はスライダーではなくカーブが武器だった)で横浜打線を抑え込んでいたのだが、6回、横浜は先頭小池が四球で出ると、犠打の後小池が三盗を決め、一死三塁から後藤が先制犠牲フライを放つ。
まさに、王者の試合巧者ぶりがいかんなく発揮された攻撃で先制するも、杉内も踏ん張る。なんとか0-1で8回まで耐えたのだが、8回裏に横浜に松坂のホームランなどで5点を失いジ・エンド。6-0で横浜が貫録勝ちをおさめた。
これまで筆者が甲子園観戦をする中で、仙台育英・佐藤由則の155キロも見た。大阪桐蔭・辻内の152キロも見た。が松坂の150キロは別格だった。うなりを上げてバチーンとキャッチャー・小山のミットに収まる剛球は、まさに高校野球界の宝だった。
最後に、昨年の甲子園3回戦。記憶に新しい、大阪桐蔭対仙台育英の伝説の一戦を挙げたい。
0-1で迎えた最終回、まさかの一塁踏み外しで首の皮一枚残った仙台育英。二死満塁から途中出場の馬目が放った一打は、大阪桐蔭二度目の春夏連覇の夢を打ち砕くサヨナラ打となった。
中央特別自由席で見ていた筆者は、まさかの結末に呆然。家庭事情により、この試合をもって2017年夏の観戦が終了し、その日の最終新幹線で帰京することとなった筆者は、帰りの新幹線でネットに落ちていた一枚の写真を見た。それは、最後の試合で登板機会がないまま夏を終えた大阪桐蔭のエース徳山が、相手校歌を聞きながらこの日完投した後輩・柿木の肩を抱き、凛と立つ後ろ姿だった。どんなに無念だったろう。泣いた。