現巨人・内海率いる敦賀気比がダントツの優勝候補だったが、開幕直前の不祥事発覚で出場辞退。本命不在での開幕となった。
この年は筆者の少年野球時代のチームメイトが京都・鳥羽高校の主将として出場したため、応援のため初めてアルプススタンドで観戦した。そのチームメイトとはこの90回大会に京都・乙訓高校の監督として出場する市川靖久氏である。一番センターでベスト4進出に貢献。その18年後の今年、指導者として初めての甲子園に辿りついた。そして、この年のもう一つのベスト4進出チーム、国学院栃木の一番打者だった柄目(つかのめ)選手も今回母校の監督として甲子園に出場する。この90回大会と不思議なつながりのある大会でもある。
まずは国学院栃木。開幕戦で優勝候補である秋季近畿チャンピオン・育英と当たり、国学院も関東準優勝校ではあったが戦前は育英有利と見られていた。しかし、初回先頭の柄目選手がバスターと見せてからの絶妙なセフティバントでいきなり出塁。次打者のエンドラン成功で無死一・三塁とし、3番打者の2点タイムリーでいきなり先制。開始直後の見事な速攻で主導権を握り、育成を10-6で破った。この初回の攻撃がとても鮮やかで印象的だった。
育英を破った国学院栃木はベスト4進出、そして同じ栃木の久々出場・作新学院もベスト8進出と、栃木県勢大躍進の大会だった。
筆者は鳥羽が第三試合に登場する大会5日目を観戦した。第一試合は亀井(現巨人)率いる初出場・上宮太子対明徳義塾の好カードだったため、まずは中央特別自由席で観戦。上宮太子は確か創部3年目(つまり一期生)でセンバツ出場、そして好投手亀井にかなり注目が集まっていたが、この日は前評判通りとはいかなかった。常に明徳に先制され、追いすがるも終盤に突き放され3-9で敗戦。特に明徳3番の清水には、長打4本(二塁打2、三塁打、本塁打)とボコボコに打たれた。シングルヒットでサイクルヒット達成の最終打席では、右中間を破る二塁打。打ちすぎたがために98年夏の同校先輩藤本に続くサイクルヒットとはならなかった。
この日はとてつもなく寒い、風の強い日であったので、第二試合(四日市工対戸畑)は球場前のダイエーで暖をとり、第三試合に初のアルプススタンドへ。試合前ノックで見た鳥羽・市川選手は少年野球時代からのフライを(顔ではなく)胸の前で取る癖がまだ残っていて、懐かしい気持ちになった。鳥羽は初回から里井選手(現・立命館宇治高校監督)のタイムリーなどで着実に点を重ね、7-2で見事埼玉栄に完勝。そのまま勢いに乗り、2回戦で金子千尋(現オリックス)の長野商を8-6、準々決勝で明徳義塾を12-5で下した。
しかし、鳥羽の勢いは準決勝であたった東海大相模に完膚なきまでに叩きのめされ止まった。11-1のまさに完敗。筆者は大学の入学式を終え大急ぎで帰宅しテレビをつけたら、すでに勝負が決した終盤。観戦はそれ以降の数イニングだったが、力の差を感じざるを得なかった。
決勝はその東海大相模対智辯和歌山。智辯和歌山はこの年、前年の秋季近畿大会で一勝もしていないにも関わらず選出されている。前チームの国体出場直後の近畿大会初戦で東洋大姫路に1-3で敗れたのだが、その日程の不利さを考慮すると十分出場に値するチーム力という判断だったのだ。確かにその判断は正しく、夏に大会記録の100安打11本塁打を放った打線は春から凄まじかった。初戦は丸亀から20得点で大勝、続く2回戦も国士館から9得点で勝ち上がると、準々決勝では柳川・香月投手に抑え込まれたものの白野投手の好投で1-0で辛勝。この試合が、夏準々決勝での伝説の名勝負(智辯和歌山7×-6柳川)の第1ラウンドであった。
準決勝も国学院栃木から10得点で勝ち上がった智弁和歌山打線対東海大相模・筑川の対決という決勝だったが、筑川はキレのある球で智辯和歌山を粘り強く抑え、終盤のタイムリーで勝ち越した東海大相模が4-2で制した。強力智辯和歌山打線を抑え込んだ柳川・香月と東海大相模・筑川。二人の好投が強く印象に残った大会でもあった。
さて、今回の90回大会。2000年の72回大会にも出場していたのが東海大相模(当時優勝)、智辯和歌山(同準優勝)、国学院栃木(同ベスト4)、明徳義塾(同ベスト8)の4校である。東海大相模、智辯和歌山、明徳義塾は大本命大阪桐蔭に対抗できる優勝候補として名が挙がっている。その中でも東海大相模は2000年春優勝を皮切りに、2010年夏準優勝、2015年高校野球100周年の夏に優勝と、節目の年に結果を残している。この第90回センバツでどのような結果を残すか注目したい。
そして、鳥羽(同ベスト4)の主将であった市川氏率いる京都・乙訓高校。個人的には乙訓対東海大相模の市川監督リベンジマッチを決勝の舞台で見たいが、まずは一戦ずつ力を出し切れるように最善の準備をして戦ってほしい。