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思い出甲子園

思い出甲子園(1992年春)

投稿日:2018年3月18日 更新日:

星稜・松井秀喜、帝京・三沢(元巨人)、東海大相模・吉田(元近鉄)、が主役の大会だった。

まず、松井。開幕戦で宮古高校相手に2本塁打含む7打点と大暴れ、ラッキーゾーン撤廃後最初のホームランを打った選手となった。この試合、筆者は少年野球の試合帰りにカーラジオで聞いていたが、2本目のホームランを実況するアナウンサーの声から、とんでもないことが起きている感が伝わってきた。帰宅後、興奮しながら録画を何度も見返した。続く2回戦の終盤でも、それまで完璧に抑え込まれていた堀越・山本投手のカーブを拾い、大会3本目のホームラン。(※堀越OBの野球仲間によると在校生はこのときの試合映像を、松井相手に「逃げなかった」偉大な先輩の記録として見せられるらしい)この一連の打撃は、センバツのNHK中継で試合の合間にやる「センバツ球春譜」でお馴染みの映像となった。

帝京・三沢も前年夏のベスト8メンバーで、登板しホームランも打つなどすでに甲子園での実績十分の選手だった。大会を通じてあまりチームの打線が振るわない中、投打の大黒柱として孤軍奮闘の活躍だった。コントロールが抜群によかった。

そして東海大相模・吉田。初戦の中継を見ていたが、まっすぐが143キロ出ていたのが印象的だった。まだ140キロ代は珍しく、おそらくその大会の最速ではないか。球速以上に、まっすぐの球筋が印象的で、ホップしてアウトローにバチーンと決まる、惚れ惚れするまっすぐだった。

その3選手が出てくる準々決勝を見に行ったのが初めての春の甲子園観戦だった。天理5―1星稜、東海大相模2―0PL学園、帝京3-2三重、浦和学院4―2育英と、今思うとものすごく贅沢な組み合わせで、PLには松井稼頭央・今岡もいて、育英には元近鉄の大村もいた。残念だったのは天気で、この日は朝からずっと雨だった。わざわざ逆サイドに座るほど家族で楽しみにしていたPLの人文字もあまりキレイに見えなかった。第4試合は田んぼのような状態で選手がかわいそうだった。

そしてこの準々決勝で、星稜は松井のエラーで負けている。天理との準々決勝では月岩(※夏の明徳義塾戦で最後の打者となった。夏は気の毒だったが、春は活躍していた)の犠飛であげた1点を終盤まで守っていたが、8回裏に追いつかれると、なおも3塁に走者がいる場面でサード松井に緩いゴロが飛んだ。これを松井が捕球できず、あわてて球を拾いバックホームするも間に合わず、痛恨の2点目。直後に天理5番・山本にとどめの3ランホームランを打たれ痛恨の逆転負けとなった。このエラーの場面の「松井、あー、松井、松井、あ、ダメ!」という毎日放送のアナウンサーの実況が印象に残っている。

決勝は帝京と東海大相模。天理・PLが敗退した時点で若干トーンダウンしていたが、面白い試合だった。帝京の8番・林が3打点の活躍で帝京が3点先制するも、じわじわと相模が追い上げる。3-2の1点差で迎えた最終回2死一・二塁から東海大相模3番柴田が痛烈なライト前ヒットを放つも、帝京ライトのワンバウンドストライク返球で2塁走者がホームタッチアウト、劇的な幕切れで帝京が優勝を決めた。三沢の4連投で帝京が89年夏に続き、春の初優勝を決めた。バックホームタッチアウトで優勝決定、前年決勝のライトオーバーサヨナラタイムリー(広陵6×-5松商学園)に続き、2年連続で劇的な大会のフィナーレとなった。

ところで、この決勝で不可解な判定があった。東海大相模の吉田投手が打席に立っている際、きわどい球をカットし続けていたのだが、吉田に対する球数が10球になろうかというところで、審判がカットし続ける吉田を(おそらく高校生らしくないという理由で)三振扱いにしたのだ。確かに吉田は前に打とうとするより、一塁側にファールを打つことを狙ってスイングしているようには見えたが、カットも高等技術である。子供心に「しょうもない審判やなぁ」とシラけてしまった。2013年夏の花巻東・千葉選手のカット打法騒動があったとき、このときのことを思い出した。

後に日本を代表するような選手が出場・活躍し、また、帝京が春夏連覇できるか、松井は一体何本ホームランを打つのか、夏に向けて非常に楽しみな余韻が残る大会だった。

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