記録的な冷夏で、雨に祟られた大会だった。
筆者が球場に見に行ったのは大会9日目の2回戦最後の日。
京都西 対 郡山
常総学院 対 近大付
鹿児島商工 対 堀越
という組み合わせだった。
第一試合に登場の京都西。センバツ開幕前に優勝候補に挙げられた東山が早々に姿を消した波乱の京都大会を、決勝で大家友和(元レッドソックス)率いる京都成章を破り制した。2年連続の出場である。旧チームから主軸の茨木など打てる選手をそろえて、京都勢として久々の上位進出が期待されていた。
開幕戦で佐野日大を7-2で下し迎えた2回戦、相対するは、一回戦で優勝候補の享栄を2-1で破った大型左腕大内を擁する奈良・郡山。60年ぶりの古都対決である。
筆者は子供の頃から京都西の応援が好きだった。すべてオリジナル曲でそろえた応援は京都府民の夏の風物詩となり、地元少年野球の試合中の口ラッパ応援はもちろん、ローカルCMのBGMにも応援曲が使用されるほどだった。
はじめて甲子園でその応援を聞きながら西高の試合が見られると喜び勇んで行った筆者だが、印象に残っているのは郡山高校の大応援団による「郡高音頭」の圧倒的迫力だった。こちらもオリジナル。チャンスになると応援団の大音量とともに球場内を圧倒。その夜寝るときにずっと頭の中をぐるぐる回り寝付けないほどの強烈なインパクトがあった。
試合は、1-2の劣勢で迎えた8回表に、京都西の四番・青山の逆転ツーランホームランが飛び出し、4-2で京都西が勝利。いきなり大層よい試合が見れて、ホクホク。
第二試合は東西の横綱対決。センバツ優勝の上宮、松井稼頭央(当時は和夫)率いるPL学園など、強豪ひしめく大阪を制したのは近大付。2年連続出場だ。
対する常総学院は前年出場時に、ベンチ入りメンバー15名のうち14名が1,2年生だったという、「ザ・3年計画」の集大成だ。センバツでは初出場の東筑紫学園に不覚をとったが、好投手・倉、根本・金子誠(元日本ハム)とタレントをそろえた東の優勝候補であった。
前年2回戦では4番手投手を先発させ、北陸に敗れた近大付。先発は2年生の剛腕・金城龍彦(元ベイスターズ)。エース格の投手を満を持してぶつけてきたが、要所で常総学院が効果的に加点。3-1の8回裏に同じ2年生の常総5番・木村にダメ押しのホームランを打たれ、ジ・エンド。常総が横綱対決を4-1で制した。
第三試合は鹿児島商工対堀越。3-0で鹿児島商工がリードした8回に、バケツをひっくり返したような豪雨で中断。雨が銀傘をたたきつけ轟音がとどろき、雨水が外野スタンドの階段を滝のように流れていく。この世の終わりのような雨だった。
結局、豪雨の中やけくそで応援歌を演奏し再開をアピールしていた堀越応援団と選手の願いは届かず、そのままコールドゲームとなった。悔しい幕切れで甲子園を去った堀越。このときの遊撃手は井端和弘(元中日等)である。
古都対決に横綱対決、雨天コールド決着と、どの試合も27年たった今も記憶に残る、濃密な一日だった。そんな特別な観戦日に、筆者が試合の合間にグッズショップで買ってもらった校名シール付きメガホン。選んだのは、神奈川代表・横浜商大。どうしてだろう。本当にわからない。
また、雨の影響は翌日も。第二試合では前日雨天コールド勝ちした鹿児島商工が、常総学院を序盤で4-0でリードするも、またもや強雨で中断。そのまま雨は弱まらずノーゲームとなり、今度は鹿児島商工が割を食う形となった。結局翌日の再試合は1-0で常総学院が制し、福岡ー田村の鹿児島商工・2年生バッテリーにとっても、まさに水を差された悔しい結末となった。
大会の行方を大きく左右した悪天候は、準々決勝8以降はどうにかおさまった。京都西は準々決勝で市立船橋に完敗。その市立船橋と常総学院、春日部共栄とベスト4に関東勢が3校残る中で孤軍奮闘した関西勢が、大村(元近鉄)擁する育英だった。
初戦で秋田経法大付に14-4と3年前のリベンジを果たし(※90年夏大会初戦。育英・戎と経法大・中川の投げ合いは、秋田経法大付が延長13回サヨナラ勝ち。両校その年以来の出場)、2回戦で旭川大を下すと、以降の相手はすべて関東・東京勢。
3回戦:5-4 横浜商大
準々決勝:8-1 修徳(投手は高橋尚成)
準決勝:6-1 市立船橋
決勝:3-2 春日部共栄(投手は元西武・土肥義弘)
決勝では主将の二塁手・安田が相手の選手のスパイクを受け負傷退場するも、セーフティスクイズで決勝点をもぎ取った。徹底的にバントと機動力を絡め相手をかき回す野球で頂点にたった育英の、大会通算犠打数30は今も破られていない記録である。